北陸の大雪被害を見て38(さんぱち)豪雪を思い出す
北陸地方で大雪の被害が出て、毎日ひっきりなしに報道しています。
私は高校時代に37年前の56豪雪より多い、55年前の38豪雪の経験を思い出します。
昭和38年の豪雪は今の倍近い雪が降りました。もちろん列車やバスは全部止まりました。(当時は平年でも1m~1.3mは降りました)
10m位の近所の家に訪ねて行き10分か20分位居て、帰りには自分の足跡が見えなくなるくらいの早さで積もりました。
今の様に車も重機も少ない時代だったので、消防車等の緊急車両が通れるようにと村中が力を合わせて、幹線道路等の雪かきをしました。
2m以上の雪が積もり、一日に5回も6回も屋根の雪下ろしをした記憶が有ります。(雪国では雪下ろしの為に、家の周りは空けておきます)
それをしないと屋根がつぶれる前に鴨居が下がり、襖等の建具が動かなくなるからです。(太い梁・垂木が入っていても)
玄関から外へ出るときは、二階の窓と同じ位高さがある家の前の雪の階段を一度上り、そしてまた雪の階段を下りて出入りしていました。(屋根からの積雪も有り)
屋根の雪降しをした雪が溶ける暇がないので、降ろした雪が家に寄ってきて、窓ガラスが割れない様に雪囲いがして有ったので、家の中はいつも真っ暗でした。
また私の家は梨を栽培していたので、父と一緒にかんじきを履き、昼食用に焼いた餅を懐に持ち(カイロ代わりにも)、雪の上を歩いて梨畑まで行き枝の雪堀をしました。
それは降り積もって埋まっている梨の枝が、雪の重みで裂ける被害を防ぐ為です。でも屋根の雪下ろしなどと共に、春になると何も残らない労働なので、冬はなるべく無駄使いをせず耐える生活でした。
その頃はスーパーやコンビニもない時代だったので、野菜は雪の降る前に庭の土の中に埋めてあったり、味噌・醤油などの食料品は家の土間に置いてあったりしました。
雪の下の野菜はいつも新鮮で青々としていたり、土間は丁度良い気温と湿度が有り、冷蔵庫の様なものでしたので傷むこともなかったようです。
また台所には井戸が掘って有ったので凍ることもなく、今の便利な時代の様に、食料や水などが不足することは有りませんでした。
今は流通が便利なことからいざという事を考えない様で、蓄えることをしない様です。
それなのでたった2,3日の事なのに、スーパーやコンビニでは食料品などが底をついてしまい、生活を脅かす時代の様ですね。
それとお粗末なのは国・行政の対応です、何で二日間以上もほっておくんですか、車が邪魔をして重機が入れないのは解っているんだから、何でもっと自衛隊などを早くに沢山投入しないんですか、人海戦術でも何でもして早く助けるべきではないでしょうか。
立ち往生した車の中には、スーパーなどへ食料品を届けるトラックもあったでしょう、ミサイルを撃ち落とす様なことばかりに目を向けるのではなく、国民の財産と安全を守るというのであればこういう事にも目をむけてもらい、迅速な対応をしてもらいたいと思います。
亡くなっている人もいる様に、人命にかかわる事ですよ。これはある意味人災ではないでしょうか。
昔後藤田正晴官房長官が「自然災害はしょうがないが、その後の対処次第では人災になる」と言っていたとか。
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